家に戻ってしばらくすると、尾を引いていた不安は消えていた。一人でここへ来るのは何年ぶりだろう。こんなに簡単に怖がるものだということも、忘れていた。犬がうなれば、冬に飢えた熊を想像したのに、現れたのは若いキツネが足早に横切るだけだった。人の声に首の産毛が逆立てば、けんか腰のハンターとの対決を覚悟したのに、子供たちがカヌーで湖を渡っていくだけだった。私たちが実際に対処したのは、せいぜい、浜辺でキャンプする酔った大学生たちくらいだ……朝には、うちのトイレを使おうとさえしなければ、それも悪くないくらいの。
すべて順調。いつだって順調だった。それも、私の紡ぐ物語の一部だ。地元のハンターと揉めてばかりいたり、図々しいキャンパーに常時悩まされたりしていたら、ずっとミステリー性に欠ける。警察がその線を調べても、何も出てこないはずだ。
次の一時間を、家の中の手がかりづくりに費やす。階段の下に物置があり、中の物を動かして、英国輸入菓子の包み紙を隠す。それから、床下の這い込みスペースへ。そこに靴跡を二つつける。一つは私の足より大きいブーツ、もう一つはずっと小さい靴。それぞれ一つずつ、土間の柔らかい場所に。現物の靴は、存在しない。靴底は張り子で作ったのだ。
靴底の模型を、外へ持っていく。ひとつは、とっくに使われなくなった屋外トイレの裏に、もうひとつは小屋の裏に、足跡をつけるつもりだ。それから、張り子を燃やして灰にする。それが、火を使った仕掛けの始まりになる。ついでに、自分の小説の一ページを半分燃やす。古い版で、とっくに絶版になっているものだ。
手がかりは、どれも互いにつながっていない。それこそが、執筆で学んだコツだ。ミステリーの読者は、一見無関係な手がかりを結びつけ、実際のつながりを解明したがる。必ず何かがつながるはずだから。それがフェアプレイというものだ。でも、今回の物語は、まるで違う。英国菓子の包み紙と、私の本の燃えかけのページと、これから仕掛ける半ダースほどの他の手がかりのあいだに、つながりはない。これは純粋な「仕掛け」であり、解答はない。ただし、謎解きに挑む人たちは、そのことを知らない。
偽の足跡を置きながら、次の手がかりをどこに置こうか考える。それは、物資を買った店のレシートだ。私のレシートではなく、外で見つけたもの。計画にはなかったけれど、拾わずにいられなかった。レシートの内容は、煙草一箱、ソーダ二缶、ビーフジャーキー一袋。現金払いで、私がカードで買い物をする二時間前に買われている。このレシートは、私が持ってきた煙草と完璧に符合する。煙草は少しだけ燃やして、執筆小屋の裏に残す。警察がDNA鑑定をしても、何も出てこないだろう。
では、レシートはどこに残す? ポケットから落ちたように見えなくては。もし私が——?
口笛が、空気を切り裂く。顔を上げる。大声の口笛ではない——リチャードが犬を呼ぶような類の——柔らかい音だ。誰かが、鳥の鳴き声を真似しているような。
だって、あれは鳥の鳴き声だもの、おバカさん。
首を振る。ここに来ると、本当に神経質になる。鳥の鳴き声を、鳥の真似をする人と聞き間違えるなんて。この調子なら、次はきっと——
また低い口笛が聞こえ、首の産毛が逆立つ。
あれは鳥じゃない。そもそも、鳥に似せようとしているのかさえ怪しい。むしろ、鳥の真似をしている「ふり」をしている、誰か——。
鳥の真似をしているふり? なんて馬鹿げた考え。ミステリーを書きすぎているのよ。森のなかで、何者かに尾行されるヒロインの場面を書きすぎた——
視界の隅を、影がよぎる。くるりと向きを変えると、森を抜けて湖へ向かう獣道を、私はじっと見下ろしていた。何かが道を横切り、森へ消えた。キツネより、ずっと大きな何かが。
鹿でしょう、当然。昔のテレビ番組でよく聞いた「不正解」のブザーが、頭の中で鳴り響く。
鹿が、獣道をたどらずに横切る? 密集した森を音もなくすり抜け、私の三メートル先を通り、動きの影以外に気配を残さない鹿がいる?
いや、いない。
鹿じゃない。熊でもない。二足歩行のオオカミでもない。
誰かが、ここにいる。
くそったれ、自分とのゲームはやめなくては。馬鹿みたいだとか、被害妄想だと思われたくなくて、誰かがいる事実を否定するのは、もうやめる。さっき、私は確かにノックを聞いた。はっきりとしたノックを。人が鳥の真似をするのも聞いた。誰かが獣道をこそこそ横切るのも見た。なぜなら——あれを聞き、見るように、私は仕向けられたのだから。
誰かが、私を怖がらせようとしている。
一瞬たりとも、年下の孫たちの誰かではないかとは思わない。四人は二十代前半で、ここまで車を運転して来られるし、おばあちゃんと少し過ごそう、驚かせようと思う年頃でもある。でも、こんなやり方は、誰もしない。確かに、イヴァンは手の込んだ悪戯が好きだし、トニはホラー映画が大好き。でも、私の子供たちがきちんと育ててくれた。年寄りの祖母をひどく怖がらせて——心臓発作でも起こさせようものなら——面白がる子は、一人もいない。
森を睨みつける。あそこにいるのは、見知らぬ誰か。年老いた女性を怖がらせて面白がる類の人間だ。私が着いたとき、うろついていたか、野宿していたのだろう。年寄りが漏らすところが見たいのか、それとも、私を追い払って、この素晴らしい土地を再び好き勝手に使いたいのか。
でも、それは起きない。私には計画がある。邪魔はさせない。
「もう邪魔されてるんじゃないか?」リチャードの囁きが聞こえる気がする。「お前は入念な殺人を準備してるのに、あいつらが偽の手がかりで台無しにしてるぞ」
手がかりは全部、偽物。それが狙いだ。侵入者がもう少し偽物を足すなら、それでいい。余計な手がかりのせいで、警察が私の殺人犯としてあいつらに目をつけるなら——こんな馬鹿げたことをした報いだ。
家まで早足で戻り、リチャードの古いクローゼットへ向かい、ロッカーから散弾銃を取り出す。少し時間がかかる——番号をスマホから探し出さねばならないから。銃を取り出してから、自分の計画を台無しにしたことに気づく。私が殺される前に、何かを怪しんでいたことになってはいけなかった。なのに今や、散弾銃を持ち出した痕跡が残ってしまう。
後で何とかしよう。
銃を手に、外へ出る。ポーチに立って、傾く日差しに瞬く。もうこんな時間? そうだ、ここは家から北へ八時間。秋の夕暮れは早い。
銃を脇に抱えて、敷地の外周を歩く。二周する。いるはずの誰かが見るのだ、私はただの老女ではないと——銃を持った老女だ、と。私は半分、目が見えていないかもしれない。半分、耳が聞こえていないかもしれない。半分、呆けているかもしれない。最初の動くぼやけた影に、発砲するかもしれない。気安い「こんにちは!」の声に、発砲するかもしれない。混乱した頭で、武器を持たないキャンパーに、発砲するかもしれない。
見回りを終え、家に入り、鍵をかけ、そこに立ち尽くす。銃を握りしめ、奇妙な高揚感に、心臓が速く打っている。頭もフル回転していた。ただし、まったく別種の興奮で。
私は、書きたかった。
思わず、笑いが漏れる。アドレナリンが一気に流れ込んだ反応が、これ? 怖くて、怒っていて、それで……書きたくなるの?
そう。この瞬間、この感覚を捕まえて、小説の題材にしたい。アイデアが、私を捕まえた。物語が。森の小屋でひとりきりの、年老いた女。よく言うじゃない、自分の知っていることを書けって。これを、新しい物語の火種にしたくて、うずうずしている。
気がつけば、仕事部屋にいる。ノートパソコンを開き、夕食代わりのバナナを手にしている。どうやってここへ来たか、おぼろげにしか分からない。頭が衰えているからじゃない——頭が、インスピレーションで燃え上がっているからだ。
短編を書き上げるつもりだった。この状況では、それで十分だ。私がいなくなる前に、書いて、さっと推敲する時間も残る。ところが、一時間後には、長編の最初の数章ができあがっていた。おまけに、登場人物まで生まれている。こちらのほうが、まだ厄介だ。
序盤の数章は、車の試乗のようなものだ。たいてい、私は鼻にしわを寄せて「これじゃない」と言う。けれど、登場人物は、まるで別ものだ。もっとよく知りたいと思う人物を、私は作り出してしまった。彼女と、もう少し時間を過ごしたい。彼女に物語を与えたい。
残念。彼女に与えられるのは、短編一作。それで我慢してもらうしかない。章を組み直して——
言葉にならない囁きが背後で聞こえ、私は飛び上がる。ノートパソコンが膝から滑り落ち、私はワールドシリーズ級のダイビングキャッチでそれを受け止める。それから、その姿勢のまま固まる。椅子から半分ずり落ち、関節が悲鳴を上げるなか、大事なノートパソコンを抱きしめ、耳を澄ませる。
静寂。
首を傾げて、あたりを見回す。暗い。灯りをつけるのを忘れていた。窓にカーテンはない——眺めを遮るものは何もない——けれど、厚い雲を月明かりが突き抜けることもない。部屋を照らしているのは、ノートパソコンの光だけ。私の目が三十歳の視細胞を持っていた頃は、あれでもずっとよく見えたものだが。
慎重に手を伸ばし、ランプのチェーンを引く。カチッと鳴って、何も起きない。もう一度引く。返ってくるのは、あざ笑うようなカチッという音だけ。
床板が軋む。今度は飛び上がるまいと堪える。全身の筋肉が固まっていて、飛び上がれる気もしないけれど。ノートパソコンを置きかけて、ためらう。大切な子供を運命に委ねるかのように。侵入者がこれを盗んだら? オフラインだし、新しい物語はバックアップもしていない。
頭をぶるんと振り、パソコンを置く。暖炉へ後ずさりして、後ろ手に火かき棒を掴む。他の道具がガチャガチャと鳴り、そのたびに神経もガチャガチャと鳴る。火かき棒を握り直して掲げ、散弾銃を置いたはずの台所へ向かう。
台所のカウンターを手探りし、スマホを見つける。フラッシュライトを点けてあたりを照らすが、何も見えない。コンロの時計の「12:00」の点滅さえも。停電だ。
深呼吸する。ここはしょっちゅう停電する、とは自分に言い聞かせない。たとえ事実でも。偽りの自信ゲームは、もうやめる。誰かが、ここにいる。手がかりを仕掛けに外へ出たとき、私は鍵をかけなかった。あそこにいた何者かが、家に入ってきたのだ。
足の下で、また床板が軋む。
後ずさりで、あの場所へ……散弾銃、どこに置いたっけ?
覚えていない。物語のアイデアに気を取られていた。銃をどこかに置いたのは確かだけれど、実際に置く瞬間を思い出せないのだ。
もう一度ライトを照らす。カウンターにも、テーブルにも、壁に立てかけてある様子もない。
ここに見えなくても、ここに置かなかったわけではない。侵入者は勝手口から入った——私が開けていた、唯一のドアから。そこは台所に直結している。
心臓がどきんと鳴り、息を奪う。カウンターにしがみつき、落ち着いて考えようとする。
考えすぎかもしれない。誰もいないかも——
廊下の先で、居間の窓を横切る影。紛れもなく、家の内側を動く影だ。
火かき棒を構えたまま後退する。
逃げるのよ。それが唯一の答え。少なくとも、唯一の正気な答えだ。
もう一つの選択肢は、攻撃。本当は、こっちをやりたくてたまらない。ああ、どんなにやりたいか。火かき棒を振り上げ、バンシーのように叫びながら突っ込んでいく。このクソ野郎に思い知らせてやる、私は、なめていい女じゃないと。年は取っている。身体は、昔のままじゃない。でも、蹴り飛ばすべき尻なら、まだ蹴り飛ばせる。
素敵な空想だ。喜んで、さっき作り出したあの登場人物にあげよう。彼女なら攻撃に出る。その不意打ちに侵入者はたじろぎ、彼女はそいつを殴り倒し、縛り上げ、電波が届くまで落ち着いて車を走らせて警察を呼ぶ。
それは小説の話だ。現実で叫びながら突っ込めば、散弾銃の一発が待っている。新聞記事は、手に火かき棒と書くかもしれない。でも、読者は老女が侵入者に立ち向かったとは思わない。部屋の隅でうずくまり、武器を哀れに握りしめている姿を想像するだけだ。
それは、私の墓碑銘にはならない。
代わりに、あの空想の最後の部分だけを頂く。ヒロインが車で去り、警察を呼ぶ、あの部分だ。
カウンター伝いに後退する。視線は居間に固定し、火かき棒は構えたまま。手を伸ばして鍵を掴もうとし——ない。鍵がない。
カウンターに置いたはず。そこだけは覚えている。家に入って、鍵をパンと置いて、バッグを運び入れた。
鍵は、ここにあった。今は、ない。そう認識した瞬間、胸が締めつけられ、喘ぐように息を吸う。
居間で床板が軋む。息を止めて耳を澄ます。また、軋む。くるりと向きを変え、必死に鍵を探す。見つからないと分かっている。侵入者が、散弾銃と一緒に鍵を盗んでいったのだ。残してくれたのは、忌々しいスマホだけ。ここが圏外だと知っているから。
探すのをやめかけたそのとき、スマホの光に銀色が反射する。鍵だ。床に落ちている。カウンターから滑り落ちた。
鍵をひったくる。ドアへ後退しながら、影のなかに何か見えた気がする。あれは散弾銃? 隅っこに立てかけてある?
そっと近づく。そのとき、居間で足音がする。人影が戸口に現れる。散弾銃のほうを向く。散弾銃に気づく。片腕が伸びる。私はくるりと向きを変え、ドアを力任せに開け、転がるように飛び出した。
ポーチで立ち止まり、闇を見つめる。私のSUVは、どこ?
胃の底が、ずんと沈む。侵入者の罠だ。鍵を盗み、車を動かし、鍵を床に置いていった。探せば見つかるように。そして、鍵を使う対象が何もないと気づかせるために。
アンロックボタンを押すと、遠くでピッ、ピッと鳴る。私道の先からだ。そうだ! SUVはあそこに置きっぱなしだ。
最後に走ったのがいつか——最後に走る勇気を持ったのがいつか——思い出せないけれど、私は私道を駆け出す。濡れた場所や小石に足を取られ、あんな遠くに停めるんじゃなかったと自分を罵りながら。
車にたどり着き、ドアを引いて乗り込み、エンジンをかけ——タイヤが空転したとき初めて、なぜここに置いたかを思い出す。スタックしているのだ。
都合よく。しかも、一度もはまったことのない場所で。あふれた小川のことは知っている。でも、その瞬間、確信していた。私は故意に罠にはめられた。そして、込み上げてきたのは恐怖ではなく、怒りだった。
こんな死に方は、しない。
侵入者が、どんなに入念に私の死を演出していても、関係ない。私はキャリアのすべてを、ヒロインたちをまさにこんな窮地に放り込むことに費やしてきた。脱出の選択肢が、十個は頭に浮かぶ。現実的なものを選り分けながら、車の脱出を試みる。ドライブでアクセル、それからリバース——
タイヤが空転し、それからSUVは悲鳴を上げて、轍から後ろへ飛び出す。ブレーキを踏み、あまりの手応えに一瞬、呆然とする。そのとき、ヘッドライトの中に人影が浮かぶ。ぼやけて正体がつかめない。年寄りの、くそったれな夜間視力のせいだ。
もう一度アクセルを踏む。バックカメラに目をやりながら、荒れた道を轟音とともに下る。私道がカーブし、カメラに映るのは暗い木々ばかり。左手に空き地があり、切り返しのためにそこへ車を寄せる。ほぼ向きを変え終え、肩越しに振り返ったとき、背後に人影が見える。
誰かが、後部座席にいる。
アクセルを踏む。考えていない。ただ逃げ出したくて、アクセルを踏みつける。SUVがガクンと揺れて、蛇行する。
「マーガレット! 前を——!」
車の前端が木に激突し、世界が暗転した。
***
「マーガレット。さあ、マギー。目を覚ましてくれ」
まぶたが震え、開く。目の前にリチャードがいた。私たちはSUVの中にいて、私はシートにぐったりしていた。
居眠り運転を、したの?
どうだっていい。リチャードが隣にいる。その姿を見た瞬間、この二十ヶ月は、まばたき一つで消え去る。全部、夢だったんだ。物語における最低の「どんでん返し」。でも、神様、喜んで受け入れるわ。
パンデミックなんて、起きなかった。リチャードも、死んでいない。妹も、友人たちも、死んでいない。ドリーも、死んでいない。何もかも、大丈夫。居眠り運転をして、ああ、免許を取り上げられるのね。構わない。ぜんぜん構わない。それよりも……
そのとき、リチャードを見る。そして、彼の不透明な身体を透かして、フロントガラス、秋の暗い夜、しぼんでいくエアバッグが見えた。
目に涙が溢れ、はっとして身を引き、ヘッドレストに後頭部をぶつける。
「マギー?」彼が言う。
私は彼を見まいとする。この妄想は、私の裏切り者の脳が織り上げたものだ。
彼が、視界に入ってくる。「すまない。怖がらせるつもりだったんだ。車をぶつけるほど、怖がらせるつもりはなかった」
答えず、涙があふれる目を背ける。
「謝っても、許してくれないか?」彼が言う。「まあ、当然だな」
「あなたは、本物じゃない」私はつぶやく。「私が想像しているのよ」
彼は少し、間を置く。「今夜起こったことも、全部?」
「私の想像」
「ふむ」彼は助手席に背を沈める。「君のご立派な想像力を侮辱するようで悪いが、それだと俺が少し、軽んじられている気がするよ」
鼻を鳴らす。
「これが、本物の俺かもしれないって可能性は?」彼が言う。
「ないわ。私は幽霊を信じていないもの。たとえ信じていたって、あなたが今になって、ひょっこり現れるはずがない」
「現れないか? お前が一番必要としているときに、何とかして戻ってくるとは思わないか? お前の尻を、蹴り上げるためにな」
また鼻を鳴らす。「私を、肝をつぶすほど怖がらせて?」
「いや、怖がらせて、正気に戻そうとしただけさ。本当に、もう行く準備はできてるのか、マギー。できてるなら、俺は止めない。でも、俺はそうは思わないな」
新たな涙がこみ上げる。「こんなはずじゃなかった。最初は、あなた。それから妹。それから、あの忌々しい犬」
「みんな、お前を置いてったな」
首を振る。「子供も、孫も、ひ孫もいるわ……」
「だが、あいつらは大丈夫で、お前は大丈夫じゃない」
「本当に、大丈夫じゃないの」声が、囁きになる。それから、彼をちらりと見る。「今から、子供たちのことを考えろって言うんでしょう。私がこんな形でいなくなったら、家族がどうなるかって」
彼が眉を上げる。「俺が言うと思うか? お前は、俺をもっとよく知ってると思ってたがな。これは、あいつらの問題じゃない。お前の問題だ。お前の選択だ。俺はただ、お前に間違った選択をしてほしくないだけだ」彼は間を置く。「でも、まあ、人生の幕引きとしては、なかなかかっこよかったぜ」
彼を、まじまじと見る。
「ああ、お前が何をしようとしてたかは、分かってるさ。俺はお前を知ってるからな。壮大で謎めいた退場——子供たちのためだって自分に言い聞かせた、本をもっと売るための最後の売り込み。でたらめだ。金はたっぷりある。あいつらだって、そもそも必要としちゃいない。お前はただ、芝居がかったことをしたかっただけさ」
反論しようと口を開く。それから、彼を睨みつける。
「ってことは、もしかして、本物の俺がここにいるのかもな?」彼が言う。
涙があふれ、頬を伝う。彼が、私を抱きしめる。その感触を、確かに感じた。
「もうすぐだ、マギー」彼が囁く。「もうすぐ、お前もこっちに来る。だが、急ぐことはない」
数分のあいだ、その抱擁に身を任せる。それから身を起こし、目をぬぐう。
「じゃあ、これからどうすればいい?」
彼が、私のスマホを指さす。「まず手始めに、そのメッセージを読んで、とびきりの子犬を一匹選べ」
私は笑う。涙の合間から、笑いがこみ上げる。「はい、仰せのままに」
「それから、家に戻って、ノートパソコンを拾って、あの物語を続けるんだ」
「できるかどうか、分からない」
彼は大きく目を回す。「俺は、お前が書いてるのを見てたんだぞ。すぐ横を通ったのに、お前は気づきもしなかった。お前には、ちゃんと新しい物語がある。書け」
「はい、仰せのままに。それから?」
「それから、お前自身のために、新しい物語を見つけるんだ。最後の一編をな」彼が、私の目をまっすぐに見る。「お前ならやれる。俺には、分かってる」
うなずき、身を乗り出して、彼の頬にそっと唇を寄せる。彼が、落ちたスマホを指さす。拾い上げて、孫たちが送ってくれた子犬の写真をめくる。
さあ、最後の一編を始めよう。そして、それを最高の物語にするのだ。





