夫と愛犬を失った80歳の作家は、自らの死を“最後の傑作”にしようと企てた。森の小屋で彼女を待っていたのは——

最後の一編

私は、物語を書き尽くした。だから、自分の最後の場面を書く時が来たのだ。物語を書き尽くしたから、ではない。それは、この物語の中の脇筋にすぎない。もし私の人生が一冊の本なら、私は最終章の始まりに差しかかっている。書き手として、その場所がどこにあるのかを知らねばならない。迫りくる結末を、だらだらと引き延ばす誘惑に抗わねばならない。物語は、もう語り尽くした。終焉は近い。「完」と書き記す力を、持たねばならない。でも、まだそれには早い。私は、静かな物語を書く作家ではないのだから。私の筋書きはいつも、一発の衝撃と、どんでん返しとともに終わる。自分の物語も、そう締めくくるつもりだ。解かれるべき謎とともに。年老いた作家がひとり、森の中の小屋で、一面を飾ること間違いなしの犯人当てミステリーの被害者になろうとしている……本の売り上げに最後の追い風を送り、この先何年も家族を潤す生命保険代わりになるのだ。

私は年老いている。言葉を飾るのはやめよう。リチャードは、一度だって飾らなかった。

「俺たちは年を取ったな、マーガレット」と彼は言ったものだ。すると私は微笑み、星を見上げて言うのだ。「ええ、なんて素敵なんでしょう」。そして、二人で笑った。

もちろん、年を取ることが素晴らしいとは限らない面は、たくさんある。八十歳で、二十歳のときと同じようには感じられない。五十歳のときとでさえ、同じではない。それでも私たちは、体と心の調子を整えるために最善を尽くした。完璧に喉を鳴らすとまではいかなくても、少なくとも、シュッシュッと前へ進み続けられるように。パーソナルトレーナー、健康的な食事、大学の講座、頭の体操、その他もろもろ——運が良ければ、老後を楽しめるようにと、あらゆる小さな工夫を凝らした。

おかげで、老後は心から楽しんだ。万里の長城を歩いた。スイスをバックパックで旅した。孫たちとソフトボールをした。よちよち歩きのひ孫たちと踊った。人里離れた「森の小屋」で、ハイキングやカヤックを楽しんだ。そう、私たちはまさにああいう元気な高齢者だった。そして、そうなるために身を粉にして努力した。その一瞬一瞬を、心から愛していた。

それから、二年前近くの、あの旅行が来た。十二月の初めの雪から逃れて、クリスマスにちょうど間に合うように帰国した。リチャードは、咳を持ち帰ってきた。大したことはないと、医者は言った。海外でうつった、ただの風邪だろう、と。クリスマスの二日前、彼は呼吸困難で入院した。クリスマスの日、人工呼吸器につながれた。彼は、新年を見ることなく逝った。

ほどなくして、彼を、そして大勢の人々を殺したものに、世界は名前を与えた。三ヶ月もしないうちに、世界はパンデミックで閉ざされた。あのパンデミックがなければ、私はあのとき、リチャードなしで漂流したまま、すべてを諦めていたかもしれない。でも、諦められなかった。家族が私を必要としていたから。私が、一家をまとめる大黒柱だったから。リチャード流に言えば、「わが家を仕切る姐御」だ。すべてが壊れそうになったとき、それをまとめるのは私の役目だった。妹がウイルスで死んだとき。弟が何週間も入院したとき。孫の半分が、アパートで孤立し、世界から切り離されたとき。子供たちがリモートワークに苦しみ、自分の子供や孫に会えずにいるとき。私はみんなを鼓舞した。チアリーダーになり、セラピストになり、母になり、祖母になり——それが、楽しかった。何時間もズーム通話やグループチャット、メッセージのやりとりに費やした。リチャードが死んだとき、物語を失っていたとしても、そんなことはどうでもよかった。私には、目的があったのだ。

やがて、世界はゆっくりと元へ戻っていった。子供や孫やひ孫に会えるようになった。それは、この上なく輝かしいことだった。裏庭でのバーベキュー。公園でのピクニック。見つけられる限りのトレイルでのハイキング。小さな山奥のリゾートを丸ごと借り切った二週間。でも、世界が戻り続けるにつれて、みんな自分の生活へ戻っていった。それを見届けた誇りと満足感も、つかの間だった。私は一歩下がり、自分の人生を再開しようとした。そして……

それは、もうなかった。

リチャードは去った。私の物語も去った。妹も去った。友人たちは死んでいるか、弱り切っているか、あるいは——もっともなことに——普通の社会生活へ戻るのを恐れていた。

そんなとき、愛犬が死んだ。それは、ことわざにある「最後の一藁」だった。私の背骨を、いや心を、へし折った。

私はこれまで、たくさんの犬と暮らし、そして見送ってきた。リチャードとは、よく冗談を言い合ったものだ。世間の人は人生を犬の年齢で数えるけど、自分たちは犬の数で数える、と。最初の犬を迎えたのは、ハネムーンから帰ったその日だった。彼女が死んだとき、私たちは一年のあいだ喪に服し、それから新しい子犬を迎えた。そんなふうに続いてきた。私たちの人生には、いつも犬がいた。

ドリーを迎える前には、さすがに立ち止まって考えた。自分たちより長生きするかもしれない子犬を迎えるのは、無責任ではないか、と。私たちはつい最近七十歳になったばかりで、そういうことを考え始める時期だった。子供たちは、もし私たちに何かあれば、喜んで引き取ると言ってくれた。私たちがどれほど犬を愛しているか知っていたから、みんな先を争って、大丈夫だと保証してくれた。

そして今、ドリーは逝った。パンデミックのほとんどのあいだ、彼女は私のたったひとりの連れだった。これほど深く愛情を注いだ犬はいない。彼女は、私が運動を続ける理由だった。彼女との、終わりのない散歩のために。彼女は、心配や悲しみの爆発を、辛抱強く聞いてくれた。すでに苦しんでいる家族には、とてもぶつけられないようなものを。ほかに誰も抱きしめられないとき、私にはドリーがいた。私の注目も涙も、喜んで舐め取ってくれる子が。

二ヶ月前、彼女は体重が減り始めた。すぐに獣医へ連れていった。癌と診断され、わずかな生存の希望を与えられたが、私は払うべきものは何でも払った——私のために彼女を生かしているだけだと、私のために彼女を苦しめているだけだと、認めざるを得なくなるまで。

この旅は、私たち二人のために計画していた。パンデミック後初めて、小屋へ行こうと。リチャードが逝ってから、初めて。家のことはすべて片付いていた。誰も私を必要としていなかった。だから、二人で一ヶ月、小屋にこもろうと。私が新しい物語を見つけようとするあいだ。書くための、新しい物語。生きるための、新しい物語。

ドリーがいなくなって、計画は崩れ去った。私も崩れ去った。新しい物語なんて、いらない。ただ、この物語を終わらせたい。満足のいく結末で——どんでん返しと、その見返りとともに。

本線を外れる前、私はスマホを取り出し、家族へ最後のグループメッセージを送る。スマホを開くと、個別のメッセージがずらりと並んでいる。末の息子は、この歳で「オフグリッド」へ行くなんてと心配している。長女は、創作のお題をいくつか送ってきている。孫三人からは、子犬の写真。「新しいドリー」を迎えるよう、それとなく促しているのだ。

それらすべてに返信してから、グループへ送る。それは簡潔で、感傷的でないものだ。もっと私的なメッセージは、数ヶ月前に送ってある。ただの風邪にパニックになり、子供、孫、ひ孫それぞれに、その子のどんなところが一番好きかを綴った。今回のメッセージは、それとは違う。

「いざ、大自然へ! 来週火曜に、買い出しがてらまた連絡するわ。みんな大好き。XOXOXO。素敵な一週間を!」

送信を押し、それからスマホの電源を切る。そして、終わりへと続く道へ入る。

***

小屋にたどり着くまでは、長く危険な道のりだ。山道を上り下りし、ヘアピンカーブを曲がり、ひたすら洗濯板のように波打つ未舗装路を進む。最後の角を曲がると、私道の真ん中にテニスボールが転がっているのが目に入った。

「あーら!」私は声を上げる。「ここに置き忘れたのね、ドリー。それは……」

ルームミラーをちらりと見る。肩のあたりに犬がいるはずの場所を。彼女がフロントガラスから外を見張り、アカリスやライチョウを目で追う姿を期待して。そしてリチャードが、あの犬はうちの子供たちと同じくらい悪い子だ、自分でなくしたお気に入りのおもちゃを「私たちが」置き忘れたと何週間もふさぎこんで——と、気のいい調子でぶつぶつ言うのが、聞こえる気もする。

ドリーはいない。リチャードもいない。あるのは、ぼろぼろの黄色いテニスボールが、道の真ん中に転がっているだけ。それでも私は車を寄せ、それを拾う。握り、ふにゃりと潰し、腕を引いて、投げて、叫ぶ。「ゴー!」それから、泣いた。私道に立ったまま、泣いた。

木々の間で何かが動いたとき、私はくるりと振り返り、手を上げる。指の間に、鍵を挟んで。ふんと鼻を鳴らす。鍵でこの土地の何から身を守れると思うなんて、都会に長くいすぎた証拠だ。

口笛を吹き、耳を澄ます。小さな何かが逃げていく、ばたばたという音。あるいは、大きな何かがのっそりと去っていく音——怖がっているわけではない、今日はたまたまお前を食う気分じゃないだけだと、私に知らせるような足取りの。

何の音もしなかったので、眉をひそめて周囲の森を見渡す。空耳だったか、それとも、その何かは私の補聴器に拾えないほど静かに去っていったかだ。リチャードと私は、「シニア」の必要品に金を惜しまなかった。デザイナーのハイヒールより、最高品質の膝サポーターのほうがいい。そもそも、もうデザイナーのハイヒールは履けないし……履いていく場所もない。でも、八十歳になる喜びが一つあるとすれば、まだ元気に動き回っているだけで人は驚嘆して、靴も服装も気に留めないことだ。

首を傾げる。風が木々をざわざわと揺らし、湖の波が岸をちゃぷちゃぷと打つ。補聴器は正常だ。小さなSUVに乗り込み、エンジンをかけ直す。エンジンの快い音も聞こえる。微笑んで、ダッシュボードを軽く叩く。レーシングカーにはほど遠い。高級車でもない。でも、この子は私を、行きたい場所へ連れていってくれる。

アクセルを軽く踏む……タイヤが空回りする。もう一度、今度は強く踏む。タイヤが抗議の悲鳴を上げ、SUVの後輪が横へ滑る。パーキングに入れ直し、降りて車の周りを一回りする。それから、悪態が森に響き渡った。

前輪が、泥の轍にはまり込んでいた。

「ああ」リチャードの声が、隣で聞こえる気がする。「春にデイヴィッドが直すって言ってたな」

三年前、ビーバーが近くの小川を堰き止め、水が私道の上へ流れ込むようになった。特に雨の多い秋のあとに気づいた。春の雪解けのあとは、もっとひどくなると分かっていた。孫のデイヴィッドとパートナーのミックが、家を数週間使わせてもらう代わりにと、進んで直してくれることになった。私たちがこういう場所を持ち続けられたのは、そのおかげだ。修繕が必要になるたび、何気なく口にするだけで、家族が「特権」をめぐって競い合った。支払いは、家の独占使用権というわけだ。

「この家は、これからどうなるんだ?」リチャードの声が、後ろでつぶやく。

それについては、もう決めてある。子供たちが平等に時期を分けて使うのだ。自分たちで使うもよし、子供たちに使わせるもよし、好きにすればいい。

「それで、みんな来たがるのか?」リチャードが言う。「お前がここで殺されたってのに?」

彼の声を黙らせる。そのことは考えない。考えないことなら、ほかにもたくさんある。

SUVに戻って駐車し、荷物をひとつずつ、私道をえっちらおっちらと運び上げる。荷物は三つだけ——スーツケースとバックパック、ノートパソコンケース——でも、一度に全部を運べる歳は、とうに過ぎていた。

最後の一つを手に取りながら、小声でつぶやく。こんな始まり方をするつもりじゃなかった。最後の旅は、私道を走って家を見て、最初の喜びのひらめきに、最後の一度、浸るはずだったのだ。

森の中の小屋。リチャードはいつもそれをからかった。ここにいる間は、ホラーしか書くな、と。あそこはもともと、私が逃げ込んで書くための場所だった。古い執筆小屋は、たいてい一番に目に入る。湖を見下ろす断崖に腰を下ろした、小さな建物だ。素朴と呼ぶのはお世辞だが、そう呼ぶにふさわしい建物だ。

この土地を見つけたのは、私が最初の本を売り、次がもう売れないのではないかとくよくよしていた頃だった。家には子供が二人いて、三人目がお腹の中にいた。リチャードは、そんな思いをさせるまいと、別荘地の物件巡りに連れ出してくれた。私が選んだのが、ここだ。ここは、私たちが無理なく買える唯一の物件でもあった。それでも、後悔したことは一度もない。ほかの物件には、可愛くて小綺麗なコテージがあった——電気まで通っていた!——でも、この土地の美しさには敵わなかった。

十年間、天気のいい時期は毎月ここへ通った。悪天候でも、ミューズが強く降りてきたら、運転した。私たちはもう、ここからたった二時間の場所には住んでいない。土地の上には、素朴な執筆小屋だけがあるわけでもない。今はちゃんとした夏の家がある。それでも、小屋は残してある。実際にあの中で書いたのは二十年前が最後で、それからは、リチャードが母屋に増築した、陽のたっぷり差し込む仕事部屋を選ぶようになっていたけれど。

でも、今日向かうのは、あの小屋だ。私の計画の中心。

家に荷物を置くと、小屋へ下りていく。鍵がかかっている。あれは、ハイカーが避難して、屋根が落ちてきたら訴えられるのを防ぐためだ、というのがいつもの冗談だったけれど。

小屋は、粗く切り出した材木でできた、頑丈な小さな建物だ。前の持ち主の話では、彼女の父親が、この森で伐り出した木を使って手造りしたのだという。屋根のことは冗談にできるけれど、五十年のあいだ、私たちは軽微な修繕しかしていない。彼女は古くて、見栄えもよくない。でも、時間にも風雨にも負けずに、しっかり持ちこたえている。持ち主と、似ている。だからこれから、彼女にふさわしい、最後の物語を与えようと思う。

鍵は家の中にある。持ってこない。代わりに、錠を壊す。簡単にはできないけれど、準備はしてある。錠は、壊されていなければならない。それが「明白な手がかりその一」。錠は壊し、中には侵入を知らせる罠を仕掛ける。

罠を仕掛けるのは、私。罠を作動させるのも、私。

物語の次の明白な要素は、誰かが中で暮らしていた形跡だ。

誰かが物置小屋に住み着いていた。おそらくパンデミックの最中に、避難していたのだ。夫の死後、八十代の作家マーガレット・ウッドハウスが戻ってきたとき、偶然にもその住人を驚かせてしまい、住人に殺害された——

そう、それが明白な筋書き。だからこそ、私はそうしない。錠は壊す。ドアは半開きのままにしておく。それなのに、誰かが泊まった形跡は一切ない。そのことを、二ヶ月前からつけている日記に書き残す。

執筆小屋の錠が壊されていた。中には簡単な侵入警報が仕掛けられていて、私が作動させてしまった。誰かが泊まっていたのだと思い、用心して近づいたが、現在の——あるいは過去の——住人の形跡は、まったくなかった。机の上の足跡ひとつ、炉の灰ひとつない。子供たちが戸棚に置きっぱなしのチョコレートバーまで、手つかずのままだ。なんと奇妙なことか。現実のミステリーだ。はは!

最後の部分は、少しやりすぎだ。書き手として、あんな露骨な仕掛けに手を染めることなど、決してしない。

彼女はまだ知る由もなかった。本当の謎は、彼女自身のものになるということを。彼女の死という謎に!

私なら、もっと繊細にする。けれど新聞の記事は、そう繊細で知られているものではない。この皮肉を、彼らはむさぼり食うだろう。私が、そう仕向けるのだ。

錠を壊したあと、中へ入り、歩き回る。埃に足跡を残したい。戸棚で見かけたチョコレートバーを改めて確認し、ネズミにやられていないか確かめる。私が中をよく見回したようには見えるべきだが、私が探り回った痕跡が、侵入者のものと見なされてはならない。

棚から本を一冊取る。それがあれば、なぜここに入ったかの言い訳になる。家族は、私が普段は母屋で書いていると口にするだろうから。

どの本にしようかと指でめくっていると、ドアにノックの音がした。

あまりに素早く振り返ったので、本棚にしがみつき、転ぶのをやっとこらえた。

くそったれ! 一週間後に小屋の外で死体が見つかるなんて、真っ平だ。腰を折った私が這いずっていって、そこで事切れるなんて。それでも新聞には載るかもしれないけれど、哀れな記事になるだけだ。老婆、年齢を忘れ、死す。そう、私はもう、つまずくたびに股関節骨折の影がちらつく歳になった。そういう事故は、スマホが通じるところなら、ずっと死ににくい。

それが最初の考え。二番目は——「なんてこった! 森の中の小屋のドアを、今、誰かがノックした」

「誰かいるの?」ポケットナイフに手を伸ばしながら、呼びかける。

突風がドアを煽り、柱にバタンと打ちつける。私は、震える笑いとともに息を吐き出した。

ノックの音じゃなかった。開いたドアが、湖からの風でバタンと鳴っていただけだ。

大股で歩み寄って、ドアを閉める。本棚へ戻る。さて、どれにしよう——

二回の鋭いノック音に、また体が跳ねる。今は閉まっているドアをじっと見つめ、頭の中で音を再生する。紛れもない、ドアを二回叩く音。軽く、気さくな調子だった。

コンコン。

そこにいるのは、だあれ?

この言葉を口にしたい衝動をこらえ、代わりに大股で歩いて、ドアを乱暴に引いた。侵入者の不意を突きたい一心で。

誰もいない。

外へ出る。「誰かいるの?」と呼ぶ。

風が木々をざわざわと揺らす。湖のどこかで、アビの悲しげな鳴き声が聞こえ、背筋がぞくりとした。

ナイフを手に、断崖の縁まで歩く。落ち着けと、自分に言い聞かせる。この湖は、人が使う。秋も深いこの時期は、たいてい空っぽだけれど。隣人もいる。遠いけれど。季節だけの住人だけれど。つまり、人がいることはあるのだ。彼らはときどき、私たちの隠れ家に迷い込み、丁寧な「私有地につき立入禁止」の看板を無視して、うろうろする。

「誰かいるの?」今度は、もっと大きな声で呼ぶ。アビが答える。それから風が、ドアを枠にガタガタと打ちつける。

私が聞いたのは、あの音? 目を閉じる。ガタガタという音は、覚えている二回のノックより、ずっと柔らかい。でも、あのとき私は、すでに気が立っていた。同じ音だったのかもしれない。

もう一度あたりを見回し、何もいないことを確かめてから、母屋へ向かう。

***